富山は少し落ち着いたので書く。震源地はまだまだ落ち着かなさそう、というよりここ3年位ずーっと落ち着いてなかったけれど。
16時。俺は寝ていた。元日なんて大体お店なんかやってない。
大体ハードオフのジャンクはイツメンだろうし福袋も予約していないしこの時は買う気もなかった。
なんで寝る。2日に金沢に行く。金沢もイツメンだろうが野々市に欲しい物がある。そう決めていた。
急にスマホがブーッ、ブーッと鳴る。
飛び起きて雑に立てていたベースを抑える。窓がガタガタ揺れて終わった。
「また能登かよ、今年も元気やっちゃな」と思った。
だって毎年のように5弱以上起きてるし、実際震度3もツキイチくらいでたまーにあるかなって。
こういう時はNHKをつける。NHKでは報道特番が流れている。
民放だったら大体テロップで済ますもんな。
俺はのんきにSNSで呟き友人に「揺れたね」とラインを送る。
するとまたもやスマホから「地震です、地震です」、と。また来たかと思う前に以前とは違う大きな揺れが襲った。今まで体感したことのないような。
家が揺れだす。NHKの緊急地震速報も鳴る。小物は倒れ、テレビはグラングランと揺れる。近くに机がなくどうしようもないのでパニックになり何故かテレビを抑えていた。
揺れは大体体感で1分ほど続いた。正直後半の30秒ほどは余裕があったので動画を回した。
収まった、と思った時緊急警報が「ピロロロ」と始まる。
アナウンサーが必死になり「逃げてください!」叫ぶ。
頭が回らなくなり、変なバイアスがかかった。
ただ俺の場合山の方なのと近所がブロック塀ばかりで外に出るのも危険なので家に籠もる。震度7という事はNHKではなくスマホの通知で知った。
垂直避難、という訳ではないが2階に登るとぬいぐるみやサインボールが倒れていた。直そうとするとまた家が揺れだす。窓がガタガタと鳴る。余震だ。
ずーっと揺れている気がする、というが震度1~2くらいで揺れていたが落ち着いたのでとりあえず能登の知り合いの人にメッセージを送る。たまたま能登におらず大丈夫みたいだった。
あとは適当に連絡する。避難するかどうかという話もした。
新年最初の連絡があけおめじゃなくて地震情報共有ってのがなあ……。
SNSを見る。ファボーレ(ショッピングモール)の福袋の上に天井が降っていた。
ゾッとした。いつもならイベントがなくても十人くらい座ってるし、イベントがある時は2階から覗く人もいる。
当たり前だけど他人事じゃねえな、と。
いつも通りを装いたく、SNSを余裕こいた感じで更新する。実際は焦りがある。
フォロワーから心配の連絡が来たのがありがたかった。
メンタルを落ち着かせるために入浴。こんな時にすんなよと思うが自分でもそう思う。
入浴しているときにも緊急地震速報が鳴った。
もう風呂にもゆっくり入れねえのかよ。
風呂上がりにザッピング、ザッピング、ザッピング。
どこを回しても地震のニュース速報が流れていた。
非日常だった。
もー嫌になった。寝た。
寝ている間も揺れていたみたいだが疲れで気が付かなかった。
起きると普通の日常だった。テレビをつけるまでは。
道路は割れ、山は崩れ、津波は海岸沿いを襲った痕がある。
時間が経てば経つほど死者が段々と増えていく。東日本大震災の時もそうだったよな。熊本や胆振で起きた時も。それが隣の県であるなんて。
そんな事を考え、昨年の大晦日に書いた記事を思い出した。
>何故かっていうと当時駿河湾で地震あってな。その前にも能登かわいいよ能登半島地震や中越「沖」地震で地震に興味持ってな。図書館で富山の地震の本読むくらいやったんや。ただ戦前の話と難しいことしか書いてなかったけどな。
この記事を書いたときにはこうなるとは思わなかったし、過去みたいに動画も見ていない。
音MADを知った頃や311の時はあんなに見ていたのに。
身近に起きたからなのか、それとも大人になったからなのか分からない。
なんか考えるのも嫌になった。
そういえばカターレが福袋売ってるんだよな。ユニフォーム入ってるとか。
嫌な気持ちになりたくなくて買いに行った。エゴだ。
車の中ではなんとなく銀杏BOYZの「ぽあだむ」を聴いていた。
あれも東日本大震災の時の非日常の歌なんだよな。
明るいけどなぜか歌詞とメロディが刺さった。
コンビニには減ってはいたものの水も食料も残っていた。列に並ぶと前の人は2Lの水を持っていた。
水は命綱だしな。
家に帰ると第一が負けていた。星稜も負けていた。普通に負けるより悔しいだろうな。
でも他校や現地にいる人達が来れない人の代わりとなって応援している。サッカーの力ってすごいんだな、って改めて思う。
ハードオフが2階にある店舗は閉まっていた。正確には買取のみなんだろうけど。
あー↓、って声が出た。
福袋からは良いユニフォームが出てきてちょっとホッとした。嬉しかった、じゃなくて。
こういう記事をデスノートのLみたいに椅子に座って書いていると何度も揺れに襲われる。
小学生の時もなんだけど、なんか意識がどっか行っちゃうんだよな。あまりにも現実的じゃなくて。
ほっぺたつねっても痛くないというか。痛いんだけどさ。
うーん、なんて表現したらいいんだろうか。
実際に富山で強い揺れ襲ったらどうなるんだろうな俺。
「ここのブロック塀はずーっとヒビ入ってたしここ元々地面割れて膨らんでる所あるしどこ被災してるか分かんねえやwww」なんて言うのかな。嫌だな。
それとも「無事であることを祈ります」なんていうのかな。
わかんねえや。
そして峯田和伸が中越地震の時にブログで書いていた「ドーハの悲劇や地下鉄サリン事件、911で感じた終末観」という気持ちが少し分かった気がした。遠いけど近い。近いけど遠い。
そしていつか死ぬんだ。その距離が分からず。
日常が非日常になる。その瞬間に日常のヒモがちぎれて死ぬ。それだけ。
でも生きるんだ。揺れで死ぬことが怖くなった。躁鬱で死にたくなるときもある。カフェインのとりすぎで死にたくなるときもある。やらかして死にたくなるときもある。でも生きるんだ。俺は。
「死にたくなる」で済ませるんだ。ぜってー死なねえから。長生きしてやっから。